私は息子を兵士に育てたのではない






アメリカ合衆国の、ソングライター、アルフレッド=ブライアン(1871〜1958)が作詞し、作曲家アル=ピアンタドーシ(1884〜1955)が作曲した、第一次世界大戦の最中の1915年に作った反戦歌。

ウィキペディアでは「私は息子を兵士に育てなかった」と訳していますが、「育てなかった」では客観的すぎる気がしましたので、抗議のニュアンスをこめて「育てたのではない」にしました。

ウィキペディアから引用した歌詞を訳も添えて掲載します。

先の説明のとおり「育てなかった」は「育てたのではない」に変えてあります。

第1連

Ten million soldiers to the war have gone,→一千万の兵士が戦争に行った
Who may never return again.→もう帰ってくることはないだろう
Ten million mother's hearts must break→一千万の母親の心は張り裂けるに違いない
For the ones who died in vain.→無駄死にしたあの子のために
Head bowed down in sorrow→悲しみに首を垂れ
In her lonely years,→孤独な日々のなか
I heard a mother murmur thru' her tears:→涙を浮かべた母親のさざめく声が私には聞こえた

第2連

I didn't raise my boy to be a soldier,→私は息子を兵士に育てたのではない
I brought him up to be my pride and joy.→私が育てたのは自慢の息子
Who dares to place a musket on his shoulder,→誰かがマスケット銃を背負わせて
To shoot some other mother's darling boy?→そのまた誰かの愛しい息子を撃たせた
Let nations arbitrate their future troubles,→まだ来ぬ争いの調停は国に任せ
It's time to lay the sword and gun away.→刀と銃をしまう時がきた
There'd be no war today,→今日にも戦争は終わることだろう
If mothers all would say,→母親たちみんなでこう言えばいい
"I didn't raise my boy to be a soldier."→「私は息子を兵士に育てたのではない」

第3連

What victory can cheer a mother's heart,→勝利に心躍る母親はどれだけいるだろう
When she looks at her blighted home?→荒れ果てた我が家をみつめながら
What victory can bring her back→勝利は何を取り戻してくれるのだろう
All she cared to call her own?→自分のものといえば何でも?
Let each mother answer→返事は母親たちに任せよう
In the years to be,→あと何年たっても
Remember that my boy belongs to me!→忘れないで私の息子は私のものよ!

アメリカ合衆国の場合、第二次世界大戦への参戦となると事情が複雑になってしまい、単純に反戦歌を歌うわけにはいかなかったかもしれません。

第一次世界大戦はどの参戦国も帝国主義戦争なので、現在の反戦歌に通じるものがあると思います。

この約10年前、日本では與謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」を明星に発表しています。それにも通じるものがあると思います。

ただ、與謝野晶子の「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ、君は知らじな、あきびとの、家のおきてになかりけり」に比べて、こちらの「まだ来ぬ争いの調停は国に任せ」「刀と銃をしまう時がきた」のほうが日本国憲法第9条や国連憲章に通じるものをすでに持っているように感じます。

こういう歌が現在こそ、もっと普及してほしいと思います。

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2016/09/17 入口に戻る
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