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みだれ

「みだれ」は「乱輪舌(みだれりんぜつ)」ともいい、「六段」とともに八橋検校(やつはしけんぎょう)の代表作とされています。

「されています」と書いたのは、当時の流行曲を集大成させてこれらの曲に仕上げたのが八橋検校であって、厳密にいえば彼1人で今日の概念での作曲をしたのとは違うという説に共感したからです。

「検校」は名前ではなく、中世から近世にかけての日本(室町〜江戸時代)の盲人の最高位の官職でした。ちなみに、検校、別当、勾当、座頭と続きます。「座頭市」の「座頭」も、苗字ではなく盲人の最下級の官職名てす。

八橋検校は1614年に生まれ、1685年に没しました。大坂冬の陣の年に生まれ、芭蕉が「奥のほそ道」紀行に旅立つ4年前に亡くなったことになります。

1685年はヘンデルと大バッハの生まれた年であり、大バッハは八橋検校の生まれ変わりといわれることがあります(なぜかヘンデルとはいわれません)が、グレゴリオ暦でいえばヘンデルが2月23日、大バッハが3月21日に生まれ、対して八橋検校は7月13日に亡くなっていますので、仮に生まれ変わりという現象があったとしても八橋検校とヘンデル大バッハの間にはありえません。八橋検校はそれぐらいに傑出した音楽家だったのだ、ということなのでしょう。

「みだれ」の名は、八橋検校の残したとされる「六段」「八段」同様の「段もの」。これは一段52拍とする一種の変奏曲で、六段、八段と各段正確に52拍ずつなのに対し、この曲は生田流と山田流では段の取り方も違っていますが、いずれの場合も各段の拍数がまちまちのため、この名がついています。

52段ということは2拍子にすると26小節、4拍子にすると13小節になります。八橋検校の生まれた1614年は徳川幕府がキリシタン禁止令を出した年でもあり、それ以降のヨーロッパ音楽は入って来なくなりますが、すでにバロック音楽の時代が始まっており、この形式はエスパニア、ポルトガルの、ルネサンス音楽や初期のバロック音楽から影響を受けた可能性は充分考えられます。

入力には邦楽社『宮城道雄著 生田流箏曲 みだれ 雲井みだれ』という弦名譜(縦書きのタブ譜で、一〜十と斗為巾、オヲハユヒサカス←などで弦の指定と奏法を指示)を使用しました。

一〜十と斗為巾が弦の指定で、斗為巾は十の弦より高い弦のそれぞれの名称。オが左手で指定された弦を強く押して一音分上げる、ヲが同じく弱く押して半音分上げる、ハが押した手を放して元に戻す、ユが左手で弦を揺らしてビブラートをかける、ヒが左手で弦を引いて半音(でいいのかな?)下げる、サがサラリン、カがカラリンとそれぞれ言い、巾から指定された弦までをピアノやハープでいうグリサンドで下げていくことなのですが、グリサンドを始める前に巾にトレモロを付けるか付けないかのようです。サラリンをトレモロの付くほう、カラリンを付かないほうとしてみたのですが、2か所ほどトレモロが付いたほうがいいと思い、カラリンとあったけれどトレモロを付けてみました。スが左手で弦を擦って雑音を出すこと、←には、その左にシュとあるので、やはり弦を擦って雑音を出すことと思い、スと同じ音色を宛ててみました。

弦名譜の知識はありませんので試行錯誤で入力しました。同音でオとある場合、左手を押しっ放しにするのか、右手で弦を弾いた都度左手で押すのかも判りませんので、その都度押した形にしてみました。

弦名譜の知識をお持ちの方、ぜひアドバイスください。

間違った箇所があるかもしれない入力をしてみて、伝統邦楽に表れた日本人の音楽の嗜好を再認識しました。

弦を押したり引いたりすることによるポルタメントの多用、一音や半音を同時に弾いたり弦を擦ったりすることによる非楽音や雑音の取り入れなど。

これらの傾向は、クラシックなど西洋の伝統音楽よりもロックと共通するものがあるように思います。

    「みだれ」midファイル
    「みだれ」musファイル

2007/09/30(2007/10/01更新) 入口に戻る
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