ビゼーの唯一残された交響曲は17歳の時の作品で、作曲から80年、彼の死から60年たった1935年に発見されました。
第2楽章アダージョはビゼーの面目躍如といった、哀愁をおびた曲で、バレー音楽にも使われています。
序奏の後、ビオラのピツィカートに乗ってオーボエが奏でる主題の部分と、チェロ・バスから始まるボリフォニーの部分、オーボエ主題の再現の3部形式です。
なお「第1番」と表記しているのは、この曲が彼の最初の交響曲であることと、将来第2番以降の交響曲が発見される可能性も含ませています。